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中山集会所の北側に登山口?があります。

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中山ぐるりとひとまわりの看板を見つけたら、そこを右折

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細い階段を上る

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繁みの中をさらに進む。イノシシが出ないか少し不安になったり・・

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明るいところに出ます

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神社が見えてきました

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中山ぐるりとひとまわりの看板がありました。読んでみよう。大原神社・黄幡社ともいうんだね。

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立派な灯篭もある

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大正14年(1925年)に、この地に建てられたんだね。

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なんて書いてるんだろ?

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この絵の解説は、下のほうに貼っておいたよ。楠木正成だね。

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この絵は、楠木正成と新田義貞みたいだね。

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「手水鉢(ちょうずばち)」または「水盤(すいばん)」かな?

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奥に小さな祠があります。大原神社の神様とは別に、中山に伝わるお稲荷さんや地主神さんが祀られているかも?誰か知りませんか?

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大原神社からは鏡が丘が一望できますね。

黄幡さんが祀られているみたい。黄幡さんについての解説は、以下を見てみて

八将神 - Wikipedia

大原神社(黄幡社)に掲げられている絵馬

1枚目:

南北朝時代の武将、楠木正成(くすのき まさしげ)と息子の正行(まさつら)を描いた「楠木父子訣別の図(桜井の別れ)」です。描かれている場面1336年、湊川の戦いに赴く前の楠木正成(右側の武将)が、宿場である「桜井の宿」(現在の大阪府島本町)にて、まだ幼い息子の正行(左側の子供)を故郷へ帰す場面です。正成はこれが最後の戦いになると悟り、息子に「私が死んだ後は、足利尊氏に降伏することなく、朝廷のために最後まで忠義を尽くしなさい」と遺訓を伝え、形見の刀を授けています。明治から戦前にかけて、忠臣の鑑として教科書などにも広く掲載され、日本全国の神社に多くの絵馬が奉納されました。ご質問の通り、こちらの歴史ある奉納絵馬は、地元で「おんばんさん(賞幡社)」として古くから親しまれている大原神社の境内で今も見ることができます。

2枚目:

「湊川の戦い」または南朝の共闘(楠木正成・新田義貞)大正時代に奉納された武者絵馬は、対になるもう一面の絵馬とセットで「新田義貞」と「楠木正成」の忠義の武将2人を並べて称えるケースが定番でした。この2人がともに戦場を駆ける、あるいはそれぞれの名場面を対比させている構図

「鏡が丘」の地名の由来

大原神社(通称:おんばんさん / 黄幡社)は、明治43年に一度、近くの稲生神社へ合祀(合わせてお祀り)されました。しかしある夜、このお宮の神様が地元の古老の枕元に立ち、「わしは、もとの地へいにたい(帰りたい)」と切実に訴えかけられたと言われています。そのため、大正14年3月に再びもとの場所(現在の境内)へ神様をお返しすることになりました。その際に、神様の「お霊代(みしろ)」、つまり神体として「鏡」を新たにお迎えして奉納したことから、その周辺の一帯が「鏡が丘」と呼ばれるようになり、現在の「鏡が丘団地」や「中山鏡が丘」という地名として今にその名前を残しています。お写真にある立派な境内社(末社)の佇まいや、1枚目の大正14年の武者絵馬は、まさに神様がこの地に戻ってこられた時の喜びや、地域の人々が総出で神様(鏡)を温かくお迎えした歴史を今に伝える、非常にロマンのある証拠そのものです。