中山の谷口には、かつて村の入口を示す重要な橋が架けられていました。
この橋は、中山村へ入る最初の地点として “村の起点” と呼ばれ、
古代の山陽道が通った歴史的な交通路の要衝でもありました。
近くには石橋の怪異にまつわる石仏社の伝承が残り(散歩道の11-6石仏社にも書いています)、
橋が村の境界として特別な意味を持っていたことがうかがえます。
中山の歴史をたどるうえで、この谷口の橋は地域の象徴的な存在です。

今では、新大橋とか福本橋とか呼ばれているみたい。

中山小学校正門前だから、みんな通ったことあるよね。

中山村の谷口(入口)に関する歴史的背景
  ● 古代〜中世
    古代の 山陽道は中山の谷を北上し戸坂峠へ抜けるルート だった→ 中山谷口は古代交通の要衝。

● 近世
  中山村は「土地合不宜」とされ、農業が厳しい地域だったが、道は村の生命線として重要 だった。
● 近代
  1915年、谷を南北に貫く 芸備鉄道(現JR芸備線)が開通→ 谷口の橋は鉄道・道路の交点としてさらに重要に。

  ※「土地合不宜)」とは、

    中山の記述にも登場し、中山の土地が農業に向かず、生活環境として厳しかったことを示す歴史用語です。